こんな時期がきたのか…とつくづく思いながら、書きます。※長文ですが…
連日このように藍染体験者が広まる中で
「うちも藍を育てて、藍染をしたい!」
そうおっしゃる方がポツポツ現れます。
趣味や家庭で楽しむ分には、何もいうつもりはありません。
しかし、軽い気持ちで藍を大量に栽培し、藍染もして事業や産業にしよう!とするのは、どうか、やめてください⚠️
(周囲の生態系を崩すおそれもあります)
藍は、ただの草ではありません。
藍は、藍染は、日本の大事な伝統文化のひとつです。
書道、いけばな、茶道などと同じように、脈々と師匠から弟子へと「伝承」されてきたものです。
テレビや新聞には、もっとその芯の部分に触れて欲しいといつも願うのですが、小難しく扱いにくいテーマ。
残念ながら深い話まで掘り下げてくれるメディアさんもなく、
私たちの岬藍もまた、
・移住者のサクセスストーリー✨
・伊方町の新たな観光🌿
・自然の中の楽しいレジャー♬
としておもしろおかしく扱われるばかり…
とかく難しい藍の、敷居を下げるという意味ではそれも正解なのでしょう。
しかし、伝統工芸としての、繊細で思慮深い側面は、ないがしろにされています。
数回、筆で書くことを体験して、
「今日から書道家です!」と、名乗るのは自由です。
「藍やります!」も、それに同じ。
しかし、それは日本人としてのマナーに大いに反すること。
書も華も、お師匠の下で鍛錬する時期を経て、技術と理論をその方からしっかり受け継いだ方のみ名をいただき、公にプロとして継いでいくものです。
伝統文化の担い手が減っているとはいえ、誰でも良いとお考えのお家などあるでしょうか。
古来の手法を守り抜き残る藍師は日本で5軒。やはり相当な葛藤の中で、人を見極め人生をかけ育て、託しているはずです。
岬藍のお師匠、16代目となる染め師外山正さんもそうでした。
藍は一度、廃りました。
一斉に産業化の波が押し寄せ、いずれ効率の良い化学染料に負けたのです。
文化であるものがなぜほぼ途切れたか。正しく伝わらなかったからです。
青ければ藍染だと、手段を選ばなくなった時、本質が崩れ始めます。
または師匠と弟子の信頼関係で成り立つ世界を保てなくなったら、どんな伝統芸能でも、本質を見失い、衰退していきます。
私たちの大きな反省は、
藍の栽培は肥料も農薬も要らない簡単なものだ、農家の経験がなくてもできた、等、のイメージを広めた。
和文化サロンを運営していたことで、慢心してしまい、そもそも伝統工芸であるということ伝える努力を怠った。
人気のある観光コンテンツだ。という面ばかり発信してしまっている点です。
自覚と配慮が足りませんでした。
しっかり和文化サロンとして運営できていた神戸時代には、こんなことは起きませんでした。
移住後は観光化した藍だけが前に出て、情報もコントロールできなくなった。
まるで藍が辿った歴史の縮図そのもの…
引き継いだ大事なバトンであるはずが、
自らの手で、藍の乱立を生む種をまき散らし、大先輩方が守ってきたことを汚してしまっているとも感じ、周囲への理解の浸透が追いついていない現状を悔いています。
伝統文化としての藍を伝える。
私たちも、もう一度原点に立ち返って、大きな課題にしたいと思います。
みなさんもどうか、
書道やいけばな、藍染、陶芸や芸事、その他諸々の日本文化について、興味があるのであれば尚更、尊敬の念を持って、深みに触れる努力を惜しまず、知ってください。
何度か「体験」をしたからといって、
伝統文化の何がわかるでしょう。