「絆」が変えてくれたこと

また、3.11 あの日が来ます。

多くの人の未来をねじ曲げてしまった、あの日です。

 

先週、気仙沼から来てアトリエに泊まってくださった千葉清英さんは、7人家族のうち、5名のご家族を亡くされ息子さんとたったふたりになりました。「今までは夢中だった。5年を迎える、これからが厳しい…」そうおっしゃっていたのがずっと心に残ってしかたありません。

 

時代もあまり良い方角ではなく、誰もが自分のこと、自分の家族のことで精一杯な時期です。

 

東北への想いはあっても、まずは自分をどうにかしなきゃ。

そう思っている人も多いのではないでしょうか。

 

私は震災や、事故や事件、そういったニュースが大の苦手です。

もし自分が遭遇したら、恐ろしさで先に心臓が止まってしまうだろう。ニュースも写真も、極力、見ないように避けて来ました。

 

千葉さんや、さくらFMの近藤さん、その周囲の方々と知り合ってから、変わり始めたと思います。

身近な人が実際に災害に合い、奮い立ち、それをまた周囲の人たちが、どれだけ熱心に支え応援していることか…!

 

「遠いところの話」が、すごく近く感じられるようになった。それだけで随分、震災、防災に関して意識は変わるものです。

触れるには恐ろしくて仕方ないのは変わりませんが、まずは自分たちができることは何か。そこからしよう。

そういう話を、よくするようになりました。

 

千葉さんがあのとき、「「「絆」です。康越さんの書で、「絆」書いていただけませんか。お願いします」

そうお電話いただいた日から、私たちは少しずつ、変わることができました。